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2007/07/18「口害」

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[口害]

昔から口は災いのもと、舌は災いの根という。何で災いのもととか根とかになるのだろう。それはあまりにも悪い方向の使い方が多いからだろう。悪口、陰口、告げ口、憎まれ口、差出口、ムダ口、ヘラズ口、口答えといろいろある。全部日常生活に出てくるものばかりである。では、いい方の使い方というと一体何があるだろうか。思い当たるフシがない。おかしな話である。口とは言葉ともいう。この言葉をうまく使おうとすればする程ウソくさくなるものである。例えばすごいプロスポーツを見て、その感動を誰かに伝えようとするとき、言葉の無力さに気がつくものだ。いかにたくみに表現しても、この生の感動を完全に言い表す事は出来ない。巧みに説明すればするほどウソくさくなるというわけだ。それぐらい人間の言葉は不完全であり、完全に言い尽くす事は出来ないのである。

だから私は上手に話す人間はあまり好まない。うらやましいけれど、心がなくうそくさい。だから許されるのは言葉のプロということになり、政治家とか教育者という事になる。しかし、今の国会答弁はことばだけの持つ空しさを感じる。トップの人間がこれではと首をかしげる場面も多い。又、トップの政治家はどうしてもオレがオレがの個人主張が強い。これでは対立しても仕方がない。だから口の達者な人間はその場ではすごくアピールしているが、言葉に捉われる事の真実を見失う可能性がある、少しだけ政治の世界に入ってみました。

ゴルフも人生も人の事を言っている暇はないし、言えば自分に返ってくるものである。しかしながら、こういう言葉もある。耳にいたい言葉ほど心して聞けと。これは諌言ともいう。こういう大事な事を聞かない人間は、俗に思い上がっていると言われる。この思い上がっている人間は自分に逆らう者や、批判する者をうとんじ、遠ざける。私の知っている限り、この思い上がっている人間は織田信長とジャンボ尾崎である。でも、この思い上がった人間であると、どこの誰が決めたのだろうか。その人間の方が世の中を知らない思い上がった人間ではないだろうか。と、この二人は思っている。確かになるほどと思われる事もあるが、その人の心を動かす程の言葉は少ないものだ。私の口は毒舌とか、言いたい放題とかいわれる、しかし私は人を信用しているし、又、疑わない。これは余程の事がない限りであるが、だから本当に敵対するという事にはならない。その基本があっての言葉であるから嫌みはないし、と自分は思っている。又、盛り上げる為のジョークで、いわば私の特権でもある。何か言い分けを言っているみたいだが!! 最後に、口を二倍すると愚痴になる。この方式わかるかな!わからないだろうナ!!

尾崎将司

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